2011年7月29日金曜日

ツキとスランプの正体とは?(前編)

ギャンブル好きは必見!?
ブルーバックス7月刊『人はなぜだまされるのか』著者によるエッセイを紹介します。講談社PR誌『本』8月号に掲載されたものを2回に分けてお送りします。




ツキとスランプ
石川幹人(明治大学情報コミュニケーション学部教授)


 大学の教員をしている筆者のゼミには、数年にひとりの割合で、ギャンブルを研究テーマにしたいという学生が入ってくる。私の研究分野が心理学であり、人間の心理のなかでも、とくに認知(ものの見方や考え方)を中心に扱っているからだ。
 ギャンブルを研究テーマにしたい学生に、「どうしてギャンブルなの」と動機を聞いてみると、決まって「自分がギャンブルにはまっているから」と訴える。自分の抱えた問題を解決したいので、解決策を求めて心理学を勉強したい。こういう学生はことのほか多い。
 ギャンブルにのめり込んだ者は、一日の「運の流れ」が大事らしい。昔ギャンブルで家計を支えたという自称ギャンブラーの同僚は、ギャンブルに行く日の「賭け」は朝から始めるという。家から出たときにもう、最初に出会う車は右から来るかそれとも左から来るかを「賭ける」のだそうだ。その日の流れを確かめる「賭け」が当たると「今日はツイている」と考え、意気揚々とギャンブルに向かうのだ。「運の流れ」を感じると、「ツイている日はギャンブルをしないと損」と思うようである。
 この話を学生にしたら、重要な試験の朝には、六角鉛筆をころがして金文字ブランドが掘られた面が二回続けて出るまで振って、運を呼び寄せてから試験に向かったと申し出る者がいた。試験はギャンブルに等しいのかと思わず苦笑してしまった。
 もちろん「運の流れ」などない。パチンコにしろ、競馬にしろ、ギャンブルは確率の勝負であり、一回一回の勝ち負けは、まったく偶然に確率にのっとって決まる。偶然に決まるからこそギャンブルなのだ。筆者の統計学の授業ではギャンブルを題材に確率の勉強をさせるくらいである。
 スポーツの分野では、成績が体調と関係するので、調子のよいとき悪いときがあってもおかしくない。しかし、コーネル大学のトーマス・ギロビッチの研究では、バスケットボール選手のフリースローの成績には調子のよし悪しが現れていないことが、統計的に明らかなのにもかかわらず、選手はツキやスランプを訴えていることがわかった。つまり、体調に変化があったのではなく、ギャンブルにおける「運の流れ」の認知と同じような、幻想を抱いていたのである。
 あるとき「運の流れ」を主張する学生に、統計学を勉強したかどうかたずねた。すると学生は、統計学を勉強し、ギャンブルは偶然にもとづくことを「知っている」と答えたのである。「偶然というのは、それまで勝っていようが負けていようが、まったく関係なく決まるということだよ」と改めて説明したが、それでも、「ツキやスランプがある」という信念を曲げなかった。
 偶然と「運の流れ」はたがいに矛盾するのだが、人間は「偶然だという知識」をもちながらも、同時に「ツキを信じる」ことができる動物なのだ。これに似た矛盾を感じたことが、過去にもあった。
 筆者は生物学の研究で博士号の学位をとったので、欧米の生物学研究者と交流する機会がたびたびあった。彼らの多くは、キリスト教の信者であり、生物の進化を知識として知っていると同時に、神による創造を信じてもいた。その点を指摘すると、きまり悪そうに言葉を濁すのである。
 私たち人間の心は、生物進化の過程で生まれてきた。心の中にはたくさんの機能がしまわれているが、生活のうえで必要となった機能がそれぞれ進化し、時代ごとに積み重なったものである。それらの中には、たがいに矛盾する機能もあるのだが、状況におうじてどちらかが働くようになっているので、ふつうは問題がない。生物の実験室で働く心の機能と、教会で働く心の機能は別々なのだ。
 このような、生物進化の枠組みに照らして人間の心理を探る分野があり、「進化心理学」と呼ばれている。人間の本性が成立した経緯を、神を必要とすることなく描写する。一九九〇年代から注目されてきた進化心理学は、人間の行動や認知の傾向性をうまく説明できるうえに、人間がどこまで文明社会の環境に適応できるかも、おおむね予想できる。(つづく