2011年7月29日金曜日

ツキとスランプの正体とは?(後編)

ブルーバックス7月刊『人はなぜだまされるのか』著者によるエッセイ「ツキとスランプ」の後編です。
前編はこちら


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 さてそれでは、人間はどうしてツキやスランプを信じる傾向があるのだろうか。進化心理学の観点で説明すれば、法則発見機能が進化の途上で身についたからだとなる。進化心理学者のニコラス・ハンフリーによると、サルには見られない独特の法則発見機能が進化したことが、人間が文明を発達させたひとつの大きな要因だ。そのうえ、その機能が進化したきっかけは、記憶力が弱くなったためであるという。
 チンパンジーの記憶能力は、いくつかの面で人間を上回っている。数秒間だけ見せられた画像を詳細まで覚えているし、複雑なパターンもそのまま丸覚えできる。同じ課題を人間に課すと、とてもできない芸当である。そのかわり人間は、パターンから法則を抽出できるのだ。丸覚えができなくなったので、かわりに、法則を見いだしてそれを覚える機能を身につけたのである。
 人間に進化した法則抽出機能は、当然ながら科学技術が発展する基盤となった。ハンフリーが正しければ、人間は記憶能力の弱体化によって文明を獲得したことになる。なによりも、自然には科学技術に利用可能な法則があったことが、人間にとって幸運であった。
 そして、この法則抽出機能が、じつは「運の流れ」を見いだしてしまう元凶でもあるのだ。ツキやスランプは時系列のパターンである。パターンに法則があれば、その背後に原因が隠れているだろう。成功が続くときはその原因を特定して、さらに成功が続くように工夫するのがよい。失敗が続くときも、その原因を見いだして改善するのがよいのだ。ツキやスランプなどと認知するのは、原因を探る第一歩なのである。
 こうしてみると、法則抽出機能は、科学者だけが身につけている能力ではなく、人間が日常的に発揮している、素朴な能力であると言える。ギャンブルの胴元は、その素朴な能力につけこんでいるのである。
 ギャンブルの時系列パターンには本来、ツキもスランプもない、純粋に偶然の変動なのにもかかわらず、多くの人々がそこに法則を見いだそうとする。加えてその偶然変動には、事後的にはツキやスランプに見える変動があるので、それも一役かっている。成功が続いた次に成功すれば、ツキが続いていると感じるし、失敗すればスランプに転じたと思えるのである。どちらにせよ事後的な説明が可能なのである。
 法則抽出機能は、人間の文明を支えた一方で、文明社会に生まれたギャンブル業者に悪用されていると言える。ほかにもこのようなジレンマの状況になった機能はたくさんある。人間の「愚かさ」は、高度に進化した認知機能ゆえの副作用だったのだ。
 たとえばカルト宗教は、人間の想像機能につけこんで、ありもしない世界観を信じこませるが、その想像はもともと、過去や未来の推測に必要な機能として進化したのである。想像は、過去を反省したり、未来に希望を持ったりするには欠くことができない機能だった。また、壁のしみに幽霊を見るのも同様だ。人を識別しながら協力する生活を大昔に始め、私たちは他者の顔や視線に敏感になった。加えて危機的状況を生き残るために、恐怖感情も発達させた。それが過剰に反応して、壁のしみも恐ろしい顔に見えてしまうのだ。
 心の機能それぞれの進化的な由来をよく認識したうえで、文明社会での利用を考えるべきである。七月発刊の拙書『人はなぜだまされるのか~進化心理学が解き明かす「心」の不思議』(ブルーバックス)により多くの実例が書かれているので、さらなる興味をおもちの方には一読をおすすめする。




石川幹人(いしかわ・まさと)
1959年東京生まれ。1982年東京工業大学理学部卒。企業および国家プロジェクトの研究所をへて、現在、明治大学情報コミュニケーション学部教授。学部・大学院では、生物物理学・心理物理学を学び、企業では人工知能の開発に従事。遺伝子情報処理の研究で博士号(工学)を取得。専門は認知情報論および科学基礎論。著訳書に『心と認知の情報学』(勁草書房)、『入門・マインドサイエンスの思想』(共編著、新曜社)、『ダーウィンの危険な思想』(共訳、青土社)などがある。

(講談社PR誌『本』8月号掲載のエッセイを転載しました)